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カテゴリー ダメダメ家庭が持っている発想
配信日 03年12月19日
タイトル 地縁,血縁にこだわる

「本当に信頼できるのは血のつながった家族や親戚だけ!」
そのような血縁に対する信頼を持つ人も多いと思います。しかし、どのようなことだって程度問題がありますね?
ダメダメ家庭は、実に逆説的ですが、血のつながりを重要視する。また、地縁も結構重要視いたします。

最近での有名な例は、まさにイラクのサダム・フセイン。
彼が家族という血縁関係を大変重要視していたのは有名ですよね?
次に彼が重要視していたのは、地縁。
イラクのティクリットとかの出身者を優遇した・・・ニュースで盛んに報道されていましたよね?

サダム・フセインは子供時代に両親に虐待されて育った、ダメダメ家庭のサラブレッド。典型的なダメダメ家庭の出身者と言えます。

そのような彼だからこそ、血縁や地縁を尊重する。
本来は「家族なんて信じない!」と言い出したりする方が自然なのに。

あるいは、日本のお隣の国である韓国では、地縁,血縁が本当に重要視されるようですね。
よく大統領選挙などで、全羅南道とかなんとか・・・色々と地域対立が説明されます。
そのような深刻な地域対立を聞くと多くの日本人は???ですよね?

勿論、日本でも高校野球とかで自分の出身県の代表を応援するケースは多くあるでしょう。しかし、それは単なる親近感で・・・心の奥底からの熱烈な・・・といったものではありませんよね?別に他の県がキライというわけではないでしょ?
まあ、アメリカ等の他の国でも自分の出身地方に親近感は持っていても、他の地方への嫌悪感は持っていないでしょう?

また血縁の扱いも韓国と日本ではかなり違うようです。
韓国の気合のこもった血縁信仰は日本とは違っています。
日本ではそれこそ「遠くの親戚より、近くの他人」という言い方もあるくらいですし・・・

念を押しますが、私はここで韓国問題を書くつもりはありませんよ。
このメールマガジンの趣旨ではありませんから。
ただ、サダム・フセインといい、韓国といい、地縁,血縁を重要視するのはダメダメ家庭の特徴なんですね。

何故かって?

だって、地縁や血縁を考えて見てください。
そのような「縁」は、本人がひとりの人間として、自らのコミュニケーションで作り上げていった「縁」ではないでしょ?
地縁や血縁は、その人間が「生まれた時」から持っている「縁」ですね?

本来、人間の関係はその生まれたときから持っている「縁」を、自分自身で発展させていかないといけないものですよね?

地縁,血縁に拘るということは、結局のところ、自分自身で作り上げていった人間関係を信じていないことを示しているわけです。
つまり、それだけ自分自身のコミュニケーション能力の低さを表しているんですね。

以前に「ダメダメ家庭は議論において総論のみ主張」ということでも触れましたが、コミュニケーションは「会話」なんですね。
お互いの意見や見解をちゃんと聞き、自分の意見を冷静に主張する・・・そのようなやり取りが必要であるわけで・・・
そのやり取りを通じて、お互いを理解する・・・
そうやって、新たな「縁」ができていくわけです。
そうでしょ?

会話がない限り、「縁」は広がっていきません。
そうなると、昔から何も努力もなしに存在している「縁」である地縁,血縁しか「あて」にできなくなるわけです。

実はダメダメ家庭は、まさに親のコミュニケート能力が低いという特徴があります。
会話を進行させる意欲、技術を持っていないことが多いんですね。

親は家庭の外の社会とのコミュニケート能力が低い。だから家庭に拘らないといけなくなるわけです。
しかし、コミュニケート能力が低い親は、当然自分の子供にコミュニケートする能力も高くはありませんよね?
だから、血縁を大切にするといっても、実際「大切にされている」はずの血縁者に対しても、本当の意味では会話をしているわけではないし、理解しあっているわけでもない。

サダム・フセインの息子さんだって、「オレはオヤジのことは嫌い。」って言っていたそうですし・・・
ダメダメ家庭の親が言う「本当に信頼できるのは家族だけ!」という言葉を聴いた子供は「へぇ・・・じゃあ、あの人はボクのことは信じているのかな?そうは見えないなぁ・・」と思っちゃうんですね。

家族は地縁,血縁の集約です。
「我々は家族を大切にしている。」・・・言葉だけでは聞こえがいいものですが、家族から社会へと人間関係が広がっていく場合の出発点として「家族」を大切にしているケースと、「社会にいる他人は、あてにならないから家族しか大切にしない。」という人間関係の終着点としてのケースでは全然違っています。

ダメダメ家庭の言う「家族を大切にしている。」は勿論後者。
それゆえに、「大切にされている。」と言われる子供にとって、重荷にしかならないわけです。

大体、これから社会に出て行こうとする自分の子供に向かって「世の中の人間は全部信じられない!本当に信じられるのは家族だけ!」なんて言葉を与えるような親は、完全にダメダメですよね?

そんな色眼鏡で他人を見るようにさせておいたら、それこそ他人とのコミュニケーションなんて出来ませんよ。

マトモな親だったら、「外の世界では色々と大変なこともあるだろうけど、何か困ったことがあったら、いつでも私のところに相談に来なさい。」と言った言葉を与えるでしょう?

ただ、「私は家族を大切にしている!」というと大変に「聞こえ」がいいものですよね?
しかし、本当に良好な家族を運営している人は、逆に「最後に信じられるのは血のつながり。」なんて言わないものです。

家族に対するコミュニケーションの方法も、他人とのコミュニケーションの方法も同じですよね?
他人とのコミュニケーションが取れない人間だからこそ、血縁,地縁とか民族とか部族とか・・・生まれながらの「縁」しか頼れないわけですね?

(終了)
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発行後記

地縁とか血縁とかに妙に拘った作品って結構ありますよね?
あるいは前世からの因縁とか・・・
作品自体の価値はともかく、そのような作品を書く人は確実にダメダメ家庭の出身者です。
まあ、作品として楽しめばいいのでしょうが、作者本人は結構大変な実人生を送っているのでは?
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