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ダメダメ家庭出身者の行動
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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の行動
配信日 04年6月18日
タイトル 自己主張にこだわる

「人間がものを書くのは苦しみ、疑うからだ。自分自身や周囲に自分の価値を証明しようとするからだよ。」
ソ連の映画作家アンドレイ・タルコフスキー監督の79年の作品「ストーカー」で小説家のセリフです。
ここでの「ストーカー」は「領域侵犯者」という元々の意味で、「女性を付回す」という意味ではありません。まあ、「行ってはならないところに行く。」という語源的な意味です。

アンドレイ・タルコフスキー監督の映画は難解な作品と言われていますので、ここでは解説はいたしません。ご興味がありましたら、ご自分で見てみてくださいね。
ただし異常に難しいですよ。ご覚悟の上でどうぞ!

表現するということに関しては、「以心伝心」とか「言わなくてもわかってもらえる。」とかよく言われますね。
あるいは『日本人は自己主張がヘタだ!』とか・・・

ただ、「自己主張がヘタ」でも、別にそれで楽しく生きていければ問題はありませんよね?
「日本人は自己主張がヘタ」だとしても、今まで実際上それで問題はなかったわけです。まあ、国際外交で不利になるとしても、現実の社会生活で問題がなければ、一般の日本人には十分でしょ?
日本人すべてが外交官というわけではないんだから。

しかし、社会が「なあなあ」ではなく、厳格な「ルール」で動いているような欧米の社会においては自己主張が必要なのは当然ですね。
しかし、そのことが「いいこと」か、どうかは別でしょ?

ダメダメ家庭の人間は、自己主張がヘタですね。この場合では「自己主張をはっきりしない。」という場合が多くあります。まあ、周囲に配慮して「目立たない」ように指導されてしまっているので、自己主張を全くしなくなるわけ。

しかし、逆のパターンになるケースもあります。
過激な自己主張になるケースですね。あるいは特異な自己主張になるケースと言えます。

何といっても、ダメダメ家庭では子供の話なんか聞いてくれない。話そうとしている相手が自分の話を「聞いてくれない」ことを前提にした自己主張になるわけです。

これってヘンですよね?
メッセージというものは、本来は「自分の話を聞いてくれる人」に対して発するものですよね?
聞いてくれない人に対するメッセージなんて・・・
しかし、ダメダメ家庭では避けられないことでしょ?

例えばどうするの?
大声を上げるなどが一般的ですよね?
しかし、大声を「上げられる」方はちょっと迷惑ですよね?
逆にその人の話を聞く気なんかにはならなくなるでしょ?
しかし、ダメダメ家庭では「普通」に話していたら、自分の話を聞いてくれないので大声にならざるを得ないわけ。

あるいは言葉そのものを過激な言葉を使うとか・・・
例えばインターネットの掲示板などでも、暴力的な言葉使いの人っていますよね?
このような暴力的な言葉使いというのは、「普通」にしていたら自分の話を聞いてくれないという体験から由来しているわけですね。

あとは、身体を使って注意を引くとか・・・
「オイオイ!」なんて相手の体を揺すぶったり・・・
もっと極端に暴力そのものを使ったり。

どうしても過激にならざるを得ないわけです。
もっと過激になると、自分の話を聞いてもらうために、武器を使って脅したり、それこそ監禁,拘束したり・・・

会話というものは、相手とのやり取りですよね?本来は自分が発した意見の反応を聞いて見た上で、次の話が展開されるものですよね?しかし、このようなダメダメ家庭の会話は「言いっぱなし」状態。やり取りにはならないわけです。

まあ、ダメダメ家庭の集団として例に挙げることが多い韓国の方々って、わりとこんな感じですよね?

「普通」に話していたら自分の話を聞いてもらえない・・・そのような原体験を持っているとマトモなコミュニケーションが出来ませんよね?

まあ、こうなってしまうと、自分でも「対面でのコミュニケーションは不得意」なんてことがわかって来る。対面でのコミュニケーションによる自己表現をあきらめて、それこそ「自分の価値を証明するために」文章での表現に向かったりするわけ。

このこと自体は問題ない。本当に芸術作品だって出来ることもありますからね。
それこそ「ジェーン・エア」や「嵐が丘」などを生み出したイギリスのブロンテ姉妹もそのパターンでしょう。ダメダメ家庭特有の「恋に恋する」妄想癖も、突き詰めると立派な芸術になったりするわけです。

しかし、一般のダメダメ家庭の人間が、そこまで「突き詰めた」発想ができるわけもなく・・・
まあ、ちょっとした「自分探し」の一環として終わってしまうわけですね。
別に「自分探し」だって悪いことではないわけ。まあ、人に迷惑を掛けないことだったら勝手にやっていればいいわけですよね。

しかし、そのような「自分探し」の模索をしている人が、何歳なのか?
そのことを周囲は考慮しなくてはいけないでしょ?

70歳の老人の「自分探し」は、もう無意味かと思いますが、「人に迷惑を掛けない」くらいの分別はあるでしょう。

あと、思春期の女の子が「ポエム」とかを書いたり・・・まあ、あとで読んだら恥ずかしさ満点でも、そんな時期もありますよね?
問題は小学生のような、ほんの子供のケースですね。
そんな歳から「自分探し」が必要ということは、それだけで問題ですね。

今回の・・・“新しい”長崎の事件ですが・・・
加害者の少女もホームページ上に何がしかの文章を書いていたそうですが・・・
まあ、どのような文章であるにせよ、そんな小学生の子供が文章を書いて「自分自身の価値を証明」しなければ、「自分の価値」が認められないような精神状態なら、事件なんて起こって当然。

しかし「家族から自分の価値」を認められていない状態なら、その少女自身が文章を書いて「自分の価値」を守っていかないといけないでしょ?
太ってようが、なんだろうが、親が「それでOK!」って言ってくれれば、そんなことに拘る必要なんてないわけです。
自分自身で自分の価値を証明し守って行く・・・そんな覚悟を持っていたらストレスも溜まるわけですよね?

どうしてあのような残虐な行為を?って、能天気なこと言っていますが、小学生が自分の価値を証明し守るための行動とすれば、あのような残虐な行為もそれほど違和感のない行動ですよね?切羽詰った精神状態なので、小学生が出来ることって、逆にあのような行為になっちゃうんですね。


(終了)
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発信後記

前回の話に関連しますが、“古い方”の長崎の事件を受けて、子供に「オマエは何か困ったことないかい?」と、聞いてもいないような家庭だったら”新しい方“の長崎の事件も起こって当然。
加害者の家庭も、被害者の家庭も・・・どうだったのかな?

そういえば、先日大阪で賭博場に入り浸っていた主婦たちが逮捕されたそうです。
なんでもその賭博場では大変なサービスなんだとか・・・そのサービスのよさにのめりこんでしまったそう・・・
前にも書きましたがオダテに弱いのはダメダメ家庭の特質。それだけ家庭内にほめ言葉がないことを意味しているんですね。