| カテゴリー | ダメダメ家庭はいつも否定形 |
| 配信日 | 05年1月26日 |
| タイトル | 反面教師という言葉 |
ダメダメ家庭出身者にとって、自分の出身家庭がダメダメ家庭であることを自覚すること自体が、まずもって難しいことです。このことはメールマガジンで何回も触れています。 ダメダメ家庭では「普通」という言葉がご用達なので、多くのダメダメ家庭の出身者が、「自分の実家は普通の家庭だ!」などと思っていたりするわけ。 だから、上手く行かないことがあると、本当は自分の実家が悪いのに「国が悪い!」とか「アイツが悪い!」とか、他に原因を求めてしまう。 しかし、そんな人とやり取りをしたりして、「その時点で、あなたの家庭では、これだけの選択肢があったわけでしょ?どうしてこっちの選択肢を取らなかったの?それはあなたの家庭の問題でしょ?」などと指摘したりすると、逆上されたりするわけ。 それこそ「延々と句読点もない」ような文章を送って来たりする。 ああ、この人は頭から湯気出して、書いていたんだなぁ・・・と笑ってしまうほど。 自分の出身家庭は、思考の中でアンタッチャブルなので、実家の問題を指摘されると、逆上しちゃうんですね。 では、自分の出身家庭の問題を自覚すれば、事は解決なの? それはあくまで出発点なんですね。自覚すれば解決!なんて簡単なものじゃないわけ。 「自分の出身家庭はダメダメだ!」 そう自覚することは重要です。 しかし、ダメダメ家庭出身の方の中で、そこで停まっている場合もあったりするわけ。 こんな言葉を使ってね。 「私は自分の親を反面教師にしています!」 ダメダメだった自分の親の問題を自覚して、それを反面教師にしていれば問題はないじゃないの? そう思われる方も多いでしょう? しかし、実際にそのような言葉を言われる方と、直接やり取りをなさった方はお分かりでしょうが、そんな反面教師云々を言われる方は、ダメダメなんですね。 反面教師という言葉については、以前にも書いたことがあります。 世の中で「私の反面教師は○○です!」などと公言する人で、立派な人なんていないでしょ?そんな反面教師を掲げるよりも、自分の手本となるような人物を探す方が前向きだし、ラクでしょ? だって、その手本となる人物の行動をマネしていればいいだけなんですからね。 どうしてラクな方法を取らないの? 反面教師って、言葉は言葉としていいとして、じゃあ、具体的にどのように反面教師として利用しているの? 反面教師云々を言われる方って、結局はその反面教師と同じ事をやっている実例が多いんですね。結局は・・・たとえ反面という言葉をつけても・・・教師として利用していないわけ。 では、何故に「私の反面教師は私の親です!」などと公言するのでしょうか? だって、ちょっと考えてみて下さい。 そのように「私の反面教師は私の親です!」などという言葉を聞かされた・・・単純な・・・人はどう思うでしょうか? 「ああ!この人は辛い過去を背負っているんだなぁ・・・」 「この人は、前向きにがんばろうと思っているんだなぁ・・・」 単純な人はそう思うでしょ? 「そんな反面教師なんてことを言うより、さっさと手本となる人物を探しなさいよ!」 などとは思わないものなんですね。 つまり、「反面教師云々」を語ることにより、自分自身の辛い過去と、「前向きに生きる素晴らしいワタシ!」という自慢が展開できることになるわけ。 自分の辛い過去を語り、立派なワタシを語っているので、そんな立派な私に訪れたトラブルは全部、反面教師たる自分の親のせいになるわけ。 「反面教師として掲げるほど、どうしようもないほどにダメダメな親のせいで、今の自分の問題は起こっているんだ!」 そのように自分を納得させちゃうわけです。自分だけでなく、周囲の・・・単純な・・・人もダマせちゃうわけ。 反面教師という言葉は、そのようにオイシイ言葉なんですね。 自分が上手く行かないのは「反面教師になるほどダメダメな自分の親のせいだ!」結局はそう言っているわけ。 しかし、それって「悪いのは全部○○のせいだ!」という、自分の親のスタイルそのものでしょ? 親の発想を「立派に」継承しているので、当然のこととして親の行動も継承している。 結局「ワタシは自分の親を反面教師としています!」などと言ったりする人は、全く反面にはなっていないわけ。ちゃんと自分の親を「手本」としてしまっているんですね。 そのようなことを相手に指摘してご覧なさいな。 まさに「句読点が延々存在しない」ような文章を送って来ますよ。こんな逆上でどうしてマトモなの? 自分の親がダメダメだと自覚しないのもダメ。 しかし、自覚しただけでもダメなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 前回は、とある映画を取り上げました。 それとは別に、1月22日から「陽のあたる場所から」という作品が上映されるそう。何でも共依存の問題を扱っているとか。 私は日本映画には興味がなくて・・・なんか説教臭くってね。 何でもその作品の試写会で、トークイヴェントがあったそう。多くの女性が熱心に質問したとか・・・ それはそれでいいのですが、映画を見て感動しているだけではダメですよね? 映画を契機に、自分自身と対話しないとね。 私のメルマガも、購読者が自分自身と対話する契機になれば、発行者として、「発行したかいがある」というものです。 |
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