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ダメダメ家庭と「いい人」
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カテゴリー ダメダメ家庭と「いい人」
配信日 05年9月26日
タイトル 作られた「いい人」

「○○ちゃん!いい子でお留守番しているのよ!」なんて、言葉はポピュラーな言葉ですよね?
このような言葉は、マトモ家庭でもダメダメ家庭でもおなじみです。

ただダメダメ家庭では、子供に与えるプレッシャーが違うわけ。
ダメダメ家庭では「いい子でお留守番しているのよ!」なんて言われた子供は、真剣に「いい子でいなきゃ!」なんて思ってしまうんですね。

だって、ダメダメ家庭の親は被害者意識が強い。子供を育てる手間を「被害」と捉えているわけ。だから子供がいい子でいなくて、余計に手間がかかってしまうと、自分の被害者意識が刺激され、大変なことになってしまうわけです。
「ああ!ワタシはハズレの子供をつかまされてしまった!!」と言った感じ。

マトモ家庭だったら、多少「悪い子?」でも、親は子供の面倒を見るわけですが、ダメダメ家庭だったら「いい子」でないと面倒を見ないわけ。
まあ、そんなプレッシャーを感じ続けているので、子供だってモノホンの「悪い子」になっちゃうわけですが・・・

このように、「いい子でいなきゃ!」と自分自身にプレッシャーを掛けながら成長してきたので、ある意味本当に「いい人」になることもあるわけ。ただその「いい人」といってもカッコつきのもの。俗に言う「いわゆる」いい人。

「いい人」ということについては、以前にもちょっと考えてみたことがあります。「天使のような善人」ということで、自分自身では決して手を汚さない人について書きました。
このような善人は、天然のものなんですね。本人が努力して天使のような善人になっているわけではない。本人自身はモノホンの善人であるといえるわけですが、その人の善良さを守るために、周囲の人間が「汚れて」しまうわけ。だからダメダメ家庭が出来上がってしまう。

まあ、このような天使のような善人のケースは天然なんだから、どうしようもない。そんな人の周囲にいないことがベストの対策。
しかし、このような天然のものの善人のケースとは違って、努力による「いい人」のケースもあったりするわけ。

周囲に気配りもするし、特に悪いことをするわけではない。「可」はともかく、「不可」はない。まあ、少なくともハズレとは言えない。
まさにダメダメ家庭憧れの「普通」の人・・・と言えるのかも?

しかし、一般的には人間というものは「可」もあるし、「不可」もあるもの。どうしてそんなに「不可」がないの?

そんな人を見ていて思い出すのが、
「○○ちゃん!いい子でお留守番しているのよ!」という言葉。
そう!そんな人は、「いい子」の成れの果てと言えるわけです。

勿論のこと、「いい人」でいることが悪いわけではありません。しかし、無理しているんじゃないの?その手の人って、妙に無理があるんですね。
だって人間が生きていれば、色々と面倒なことが起こったりするでしょ?それだけ「不可」がないということは、面倒を避けながら、あるいは逃げながら生きているということですよね?

ちょっとマズくなって来たら、早めに逃げてしまうわけ。本人はそれで勝手でしょうが、そんな人が家庭を守れるの?

メールマガジン「ダメダメ家庭の目次録」は、ダメダメ家庭の具体的諸相を書いているものです。このメールマガジンをご購読いただいているということは、別のメールマガジンもご購読されていたりするでしょ?

私自身も、他の発行者はどんなメールマガジンを発行しているのかな?と思って、他のメールマガジンをチェックすることもあります。
割とよく見かけるのが、「ありきたりな正論を、ありきたりな文章で書いたもの。」別にそんなメールマガジンの悪口を言うつもりはありませんが、その手の「可もなし、不可もなし。」と言った類の文章って多いですよね?
ある意味、読んでいて安心できる文章とも言えましょうか?

しかし、読み手というより、書き手の側にいる私のような人間にしてみれば、ちょっと不思議。
そんなありきたりで、どこにでもある文章をわざわざ書かなくてもいいじゃないの?
メールマガジンを発行して、お金が入るわけでもないし・・・
こんな「屋上屋を重ねる」ような文章って、書いていても楽しくないでしょうに・・・
どうして、こんな文章を書くのかなぁ?そしてメールマガジンにして発行するのかなぁ?
いったい、どうしてなの??

その手のメールマガジンを読んでいて出てくる感想は、
「なんだかなぁ・・・」
というもの。
そうじゃないですか?
多分、皆様もそう感じるようなメールマガジンってあったりするでしょ?

「なんだかなぁ・・・」
とは思うけど、その根底にある、読者としての具体的不満は自分自身でもわからない。
なんとなく不満なんだけど、どう言ったらいのかなぁ・・・

この文章の書き手が、デリカシーもあって、頭も悪くはないだろうし、文章だってヘタではない。書いてある内容にはケチをつけようもない。しかし、「だから一体何なの?」「一体、何の目的でこんな文章を書くの?」「そんなこと言われなくてもわかっているよ!!」

そう感じさせてくれる文章って、メールマガジンに限らず結構あったりしますよね?
「一体、何の目的で・・・・」
最近になってやっとわかったのは、その「目的」は、
「いい子にしていなさい!」という親からの要求への、子供としての回答なんだろうな・・・ということ。

だって、その手の「可もなし、不可もなし。」という文章から立ち上ってくるのは、「この文章の書き手は、いい人だなぁ・・・」というでしょ?
「ボクってこんなに『いい子』なんだよ!」・・・その手の文章は、そんな主張が込められているわけです。
だから読み手にしてみれば、「なんだかなぁ・・・」と思うのも当然。だってそんな文章は読み手は関係ないんですからね。その手の文章は書き手の心の中の親に宛てたものといえるでしょ?しかし、そんな文章を読まされても、読み手としては「アンタは勝手にいい子していなよ!」そう思っちゃいますよね?

そんな「自分がいい子」であることを伝えるための文章を書くような人は、本当にいい人なの?
確かに悪い人ではないでしょう。しかし、決して「頼りになる」人ではないんですね。
前にも書きましたが「いい子」でいるためには、面倒を避ける必要があるでしょ?その手の人って、マズくなると、その現場から逃げ出しちゃうわけ。面倒な事態と直面していたら、「いい子」ではいられませんよ。

そうやってアッチコッチの問題に首を突っ込んで、面倒になりそうになると、早めに逃げ出す。そうして本人は「ボクは、いい子でしょ?」と、文章を書く。
しかし、本当の「いい人」って、周囲の人間がそう評価するものであって、本人が力説するものではありませんよね?

本人が「自分はいい子」であると力説すること自体が、多くの示唆を与えてくれるわけです。

以前から度々引用していますが、フランスの哲学者のミシェル・フーコーは「見えているものを、見えるようにすることが哲学の役割」と言ったそう。あるいは、イタリアの映画監督のフェデリコ・フェリーニは「ボクは映画を見ている観客の心をザワザワさせたいんだ!」と言っていたそう。

見えているもの・・・つまり見過ごしているものを見えるようにされてしまったら、受け手は安心してはいられない。それこそザワザワとなってしまう。
しかし、だからこそ書く価値があるわけ。
読み手が安心できるような文章など、書く価値などないわけ。
それに読者の期待通りに進む文章なんて、まずもって読者にとってすら、本来は、わざわざ読む価値がないでしょ?

しかし、「いい子」であることを証明するためには、読む人が「安心できる文章」を書くことが必要。
努力により作られた「いい人」が、なんとなく安心できる文章を書く・・・一見、すばらしいことのように思う方もいらっしゃるでしょうが、本当のいい人は文章など書かないものです。だから組み合わせとしては不自然。

それにそんな「安心できる文章をわざわざ読むような人」も、どんな人なんだろう?
「こんないい人の文章を読んでいるワタシって、なんていい人!」
こんなところじゃないの?

本人がそんな形で自画自賛するのは勝手ですが、ちょっと不自然ですよね?

その不自然さを「見る」ことが、ダメダメ家庭理解の鍵の一つなんですね。


(終了)
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発信後記

アメリカのハリケーンでまたニュー・オリンズが冠水したそうですね。
自然災害はどうしようもないので、お気の毒としか申し上げられません。

しかし、ニュー・オリンズがニュースになったおかげで、なるほど!と思いました。
ニュー・オリンズのオリンズをフランス語読みすると「オルレアン」と読めるんですね。
だから「ニュー・オリンズ」はもともと「ヌーヴェル・オルレアン」だったのでしょう。

まあ、オルレアンの窮地を救いに来るのは、あの女性!!とフランス人なら皆思っているんでしょう。まあ、ニュー・オリンズはフランスと関係が深いわけ。

ニュー・オリンズはジャズの発祥地と報道されていますが、別の面もあります。どうも歓楽街・・・もっと正確に言うと色街として知られていたようです。西部劇で「ニュー・オリンズから来た女性」という役柄ですと、そのような商売をされていた女性ということになります。

そのような歓楽の街(かつては)を、原理主義者であるブッシュ現大統領はどう思っていたのかな?ヘタをするとソドムやゴモラと同じと思っていたのでは?それにブッシュ現大統領は当然のこととしてフランスは嫌いでしょうしね。

そのような背景を考えると、「オレたちは見捨てられたんだ!」というニュー・オリンズの人たちの主張にも、それなりの根拠が出てくるわけ。

オルレアンを救った少女を「たった一人の小娘の命で済めばお安いもの。」と見捨てたように、「新しいオルレアン」も、「街ひとつで済めば安いもの」、って政治家は思うのかな?
いずれにせよ、日本の報道だけでは、やっぱり色々な事情はわかりませんので、なんともいえません。しかし、せっかく報道するのなら、嵐の中でカッパ着て「大変だ!大変だ!」と叫ぶだけでなく、そんな歴史的背景から報道してほしいものですね。