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ダメダメ家庭の見分け方、考え方
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カテゴリー ダメダメ家庭の見分け方、考え方
配信日 06年2月17日
タイトル 第一印象によるすれ違い

このメールマガジンで以前に「ボタンの掛け違い」ということについて書いたことがあります。実際のダメダメ家庭の周囲では、よく発生するものなんですね。
深く考えもせずに「て・き・と・う」に始めて、それを続けた挙句、問題が大きくなって大騒ぎ!

まあ、結婚などの問題に顕著に発生するものですよね?
ダメダメ家庭の人間は、何も考えずに「て・き・と・う」に結婚するわけ。「こんなワタシでいいの?じゃあ、結婚してもいいわ!」そんな感じ。当然のこととして、うまくいくわけもなく、後になって「どうやったら離婚しないで済むのか?」そんなことでウダウダ悩んでいるわけ。
最初から「この人とは長くやっていける人なのか?」とよく考えた上で結婚すればこんなことにはならないわけですが、ダメダメの現実では、後になって「ああ!だまされたわ!」「一体どうしようか?」と大騒ぎするもの。

まあ、これは本人の不徳なんだから、しょうがない。
せめて、それ以降は、何かを始めるにあたって、まず最初に自分なりに一生懸命考えるようにするしかないわけ。

最初にいい加減に始めると、あとで、どうがんばってもメチャクチャ。
これは当然のこと。まずは、最初が肝心というわけ。
自分自身で何かを始めるという能動的な状態なら、そのようなことも可能です。しかし、たまたま見た最初の印象によって、その後の考察が大きな影響を受けてしまうことって結構あったりするものですよね?その最初に受けた印象を元に、それ以降の推論を組み立てるので、どうしてもバイアスがかかってしまうわけ。

話は変わりますが、このメールマガジンでは、ダメダメ家庭のレヴェルを超えてしまった家庭ともいえる虐待家庭について、「虐待している家庭の中では、虐待されている子供が加害者。虐待している親が被害者。という位置づけ」であることを度々書いています。
それを、いいとか悪いとか言ってもしょうがない。その家庭の中ではそうなっているのだから、それを前提として改善策を考えていくしかないわけ。事件は会議室で起こっているわけではないんですね。現場で起こっているわけ。

ダメダメな親は、「自分は子育てという面倒を背負い込まされてしまったかわいそうな被害者。」と自分自身を認識しているわけで、自分の子供を「自分に面倒を負わせる加害者。」と認識しているわけ。

そんな親に周囲がヘタに説教するから、「オマエのために、面倒なことに!」と、子供への「教育的指導」にますます熱が入るわけでしょ?

このように虐待家庭の中では、「虐待される子供の側が、加害者」となってしまっているわけです。そもそも自分の子供を虐待するような親の問題を考える際に、一般常識からスタートしてもダメでしょ?

しかし、このような、「子供の側が加害者」という認識は、虐待している当事者の家庭だけでなく、周囲の人間たちも共通して持っているものなんですね。

だって、ちょっと考えてみてくださいな。
虐待されている子供が、アザだらけの背中を見せながら、周囲を歩き回っているの?
そんなわけないでしょ?
もし、あざだらけの背中を見せながら歩いていたら、周囲の人だって「虐待だ!」と思うでしょう。

しかし、現実的に考えてみましょう。
虐待が発生している家庭において、まず最初に周囲の人の目に付くのは、子供の問題行動なんですね。だって、当然でしょ?家に帰ったら親に虐待されている状態だったら、子供だって精神的に不安定になって問題行動を起こしますよ。

だから、周囲の人は、自分たちが目にする、その子供の問題行動から、考えを出発させるわけ。
1. あの子供は困ったことばかりしている。(親には何とかしてもらいたいものだ!)
2. 親は子供に厳しくしつけ始めた。家から親の声と、子供の「ごめんなさい!」という声が聞こえる。(厳しくやって当然だ!あの子供を何とかしないと、将来のためにならない!親も困っていらっしゃるだろう!)
3. しかし、親からますます虐待を受けて子供の問題行動が収まるわけもなく、むしろエスカレートする・・・(あの親にはもっともっと厳しくしつけてほしいものだ!)
4. 子供のますますの問題行動と、親によるますますの厳しい「指導」になるわけ。(あの子供には親も本当に困っているんだろうな!体罰を使うもの当然だ!)
5. 結果的にアザなどが発見されて・・・(へぇ・・・虐待がそんな前からあったのかぁ・・・ふーん・・・そうだったの?)

こんなものでしょ?

これが最初に、背中のアザが発見されたところからスタートすると、全然違ってくるわけ。
1. おやっ?この子供には背中にアザがある。(もしかすると、虐待かも?)
2. 子供が問題行動を起こしても・・・(あの家庭なら、子供も何か問題を起こすのも当然かも?)
3. (ちょっと、あの家庭を注意深くみてみよう!)
4. 家から親の怒号と、子供の「ごめんなさい!」という声が聞こえる。(やっぱり虐待だ!)

こんな感じで進むでしょ?

最初に、「背中のアザ」を見て、そこから考えを出発させると、ちゃんと見ることができるわけですが、そんなことはレアケース。
実際は、子供の問題行動から、考えを出発させるわけ。だから、「しつけ」なり「厳しい指導」ということで納得してしまう。おまけに、そんな虐待家庭は、社会との接点が薄く、おまけに被害者意識が強いので、親は「出来の悪い子供を持った被害」ばかりを周囲に語るわけ。
だから、周囲の人も、子供の問題行動と、そんな子供による被害を語る親のグチを前提に考えを進めてしまうわけ。

周囲の人も、現実的には「虐待されている子供が加害者」で、「虐待している親が被害者」という認識になってしまっているわけ。これでは子供だって誰かに相談できないでしょ?

しかし、そのような虐待問題が報道されたりすると、まず最初に子供のケガの具合とか入院とかの問題が出てくるでしょ?上記の例でいうと、子供のアザから考えを出発させている状態。しかし、実際にそんな家庭の周囲にいる人間は、そのようには行かないわけ。

私個人は、このメールマガジンで、「見えているものを、見えるようにする。」というミシェル・フーコーの考えを出来る限り実践したいと思っています。
このメールマガジンだって、購読者さんの先入観を取り除いて、皆様が虚心坦懐に物事を見ることができるようになれば、それでOKです。

しかし、そのためには人間には、先入観があることを自覚する必要があるわけ。
今自分たちがこのように考えている前提はなんだろうか?
そのことを自問すると、ちょっとした第一印象から来る先入観であるケースも多いんですね。

真の改善策は、そんな先入観を自覚して取り除かないとダメなんですね。


(終了)
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発信後記

虐待家庭で育ってしまうと、親だけでなく、周囲の人間も信じられなくなるわけ。
だから、小学校を襲撃するようになってしまう。
逆に言うと、あの手の事件は、周囲がその気になれば、かなりの程度は減らせるわけです。
もちろん、覚悟を持って、その気にならないとできないことですが。