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ダメダメ家庭出身者の行動
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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の行動
配信日 06年10月20日
タイトル 自費出版

ダメダメ家庭出身の人間は、親から認められてこなかった過去を埋め合わせるために、「自己表現」の道に進むことがよくあります。
まあ、だから芸能人などが輩出したりするわけ。
それはそれで結構なこと。

しかし、ダメダメ家庭を作る親は、被害者意識が強い。子育てというものを自分が被った被害と捉えているわけ。
「いったい誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ!」
そんな言葉が頻発しているわけです。

ということで、そんな家庭にいる子供は、「親に迷惑を掛けないようにしよう!」と常に思うことになる。
まあ、だから「親に迷惑を掛けないような」自己表現になるわけですね。

そんな人が往々にして、やったりするのが自費出版。
自費出版された本を読んだことがない方も多いと思います。私個人は数冊読んだことがあります。
実は、読んでいて思うのが、まさに「この人・・・親に迷惑を掛けないような自己表現しているなぁ・・・」と言うことなんですね。

確かに昔だったら文章を残すにあたっても、何らかの形で出版しないとダメでしょう。人から「アナタの文章を読んでみたいわ!」なんて言われた場合、読者が読みやすいように本としての体裁をとっていないと、そもそも読みようがないでしょ?たとえ手書きの原稿を渡したとしても、読んでくれませんよ。

歴史上名だたる物書きだって、最初の作品は自費出版だった・・・とかの例はポピュラーです。そもそも歴史に名が残る作家って、生きているうちには認められないことが多い。だから自費出版もしょうがない。

しかし、ありがたいことに、21世紀の現在では、ホームページに文章をアップする方法だってあるでしょ?
どうせ、商売上儲けにならないのなら、ホームページにアップしておけばいいじゃないの?

「えっ?ワタシの文章に興味があるの?だったら、このアドレスにアクセスしてね!」でいいわけでしょ?必要に応じ、プリントアウトすればいいだけなんですからね。
それにホームページにアップしておけば、検索されて読まれる可能性だって出てくるわけでしょ?自費出版ならその本を渡さないと読まれない。つまり文章を読んでもらうためには、自費出版はメリットがないわけ。

実は、私個人がいただいた自費出版って、その書き手は皆さんホームページを持っていたりするわけ。それこそ、今のようにホームページ作成ソフトで簡単にサイトの作成なんてことができないような時代から自分のホームページを持っていたりするような人が、自費出版をしたりするんですね。

文章そのものに意味なり価値があるのなら、今の時代だったら、お金をかけて出版する必要もないわけでしょ?逆に言うと、そのような自費出版って、文章そのものの「意味」や「価値」が、中心の目的とは言えないわけ。

まさに「自分の親など周囲の様々な人に配慮した」自己表現なんですね。
もっと別の言い方をすると、自己弁護。
自分自身の弁解だから、まさに多大なる配慮が必要となる。「読んだ人を、怒らせるような文章」は不可でしょ?そんな文章を書いたら、ますます自己弁護するハメになってしまう。

しかし、アッチに配慮して・・・コッチに配慮して・・・と、そんな配慮だらけの文章を読んで思うことって、やっぱり、これ。
「で、アンタ・・・結局は、いったい何が言いたいの?」
文章のうまいヘタは別にいいのですが、「これだけは言いたい!」なんてものがないわけ。

お金をかけて、出版するのは本人の勝手として、「これだけは伝えたい!」と思っていることが伝わらないと、無意味でしょ?
「その文章を読んだ、オマエの文章読解力が低いのではないのか?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、自慢じゃあありませんが、私の読解力は水準以上ですよ。私が「この人・・・いったい何がいいたいの?」と思うような文章って、ほとんどの人がそう思いますよ。

その手の人って、自分自身を規定しているような絶対的な体験から目を逸らしている人が多いんですね。肝心なことは横において、どうでもいいようなことについて、ウダウダを書き綴るわけ。だから読者も傷つけないし自分も傷つかない。まさに周囲に配慮して、迷惑を掛けない文章なんですね。自分にとって一番重要なことから目を逸らしているわけ。

しかし、「これだけは伝えたい!」という信念があるのなら、読者や自分自身を傷つけることから逃げてはダメでしょ?読者だって傷つくことがイヤなら読まなきゃいいわけですしね。そこまで配慮するなんて逆に失礼ですよ。

ダメダメ家庭の問題を考えるに当たって、私がよく書いているのは「言われていること、書かれていること」よりも「言われないこと、書かれないこと」の方が重要ということ。
その書き手にとっての肝心なことが何も書いていない、そのような文章が表現しているものって、結局は書き手のダメダメさということになってしまう。お金や手間をかけて、自分のダメダメさを語ってもしょうがないでしょうに・・・

現実的には、その手の「配慮に満ちた」文章が本当に「語りたい」ことは、「ボクっていい人でしょ!」ということ。周囲に配慮して、読み手も安心。ああ!なんていい人なんだろう!
しかし、以前にも書きましたが、本当にいい人だったら、わざわざ文章なんて書きませんよ。しかし、まさに親から認められてこなかったダメダメ家庭の人間は、必死になって「ボクっていい人だよ!」と主張するわけ。
しかし、そんな文章って、ある意味安心ですが、やっぱり思うのは、「なんだかなぁ〜」そして「で、コイツ・・・いったい何が言いたいの?」

ダメダメ家庭出身の人間は、自分自身から逃げることについては、実に頭が回る例が多いわけ。そんな人の書いた文章なので、結局は「自分にとっての重要なこと」が何も書かれていない。その文章自体の中身のなさを補うために、立派な本の『体裁』が必要となる。

わざわざ自費出版した本を送付していただいた方々には、まことに申し訳ない言い方になってしまいますが、その手の本を読んだ感想はそんなもの。

皆さんも、誰かが発行した自費出版の本を読んで見られると、ダメダメによくある「自分からの逃避」がスグに見つかると思います。
そのような意味では大変に参考になったりするんですね。


(終了)
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発信後記

まあ、自費出版は、そんな感じで、「どーでもいいことをウダウダと・・・」と言ったスタイルが多いわけですが、まあ、素人なんだから、これでもいいんでしょうね。
しかし、いわゆるプロの文章もそんな感じの文章って多いでしょ?プロだからこそ人を傷つけるようなことを書くと「商売」にならない・・・のはわかりますが、もし、芸術ということを意識している文章だったら、そんな八方美人の万人受けの文章というわけにはいかないでしょ?

「発表したら、読者みんなが絶賛!」なんて「作品」はどんなジャンルにもありますが、そんな「作品」って、時代が経つにつれて消えていってしまうもの。
何回も引用していますが、フランスのマルグリット・デュラスが言う「面白くない本」は、こんな定義。
『感じがよくて、何も残らず、夜がなく、沈黙がなく、真の作者がなく、昼間向きで、時間つぶしに最適で、よき旅行のお供・・・』
そんな文章を書くのがプロの仕事だとしたら、自費出版もしょうがないと言えるのかも?