| カテゴリー | ダメダメ家庭の見分け方、考え方 |
| 配信日 | 06年10月27日 |
| タイトル | 配慮と同情 |
世の中には「似て非なるもの」があります。 実は大きく違っているものなのに、あまり考えずに、同じものと捉えてしまい、その違いを認識せずに、そのために現状の問題点が認識できず、事態が改善しない・・・そんなことがあったりするもの。 このメールマガジンでは、たびたび「会話とおしゃべり」は違うと書いています。 また、以前に「信用と好意」の違いについて書きました。ダメダメ人間は、人からの好意を欲しがりますが、かといって人から信頼を得ようと自分で努力するようなことはしないわけ。 「信頼と好意」って、近いように思われるかもしれませんが、実は大きな違いがあるもの。その違いから考えることによって、当事者意識のないダメダメ人間の特徴がよくわかるようになるわけです。 さてさて、「好意と信頼」と実に似た関係にあるのが、「配慮と同情」の違い。 よく「障害者への配慮をしよう!」なんて言われたりしますよね? しかし、障害者への配慮という言葉なのに、実際は障害者への同情に堕してしまっているケースも多いでしょ? 実は、このメールマガジンに対して、視覚障害者の方からお便りを頂戴したことがあります。私のバックナンバーのサイトに誤記があったとのことで、ご丁寧にご連絡をいただきました。何でも音声読み上げソフトで読むと、誤記が致命的になるんだそう・・・ 私が驚いたのは、視覚障害者の方も読んでいただいているだなぁ・・・ということ。 それに、よく読めるなぁ・・・という驚き。 そもそもこのメールマガジンは、やたら文章が長いので悪評が高いもの。健常者の方からも、「長すぎる!」とお叱りを受ける始末。(別にいいんですよ・・・別に・・・)しかし、視覚障害者の方でも読んでいただいているんだ!と思ったらちょっとうれしくなりました。 自慢じゃあありませんが、このレヴェルの文章は、私だったら音声だけでは理解できませんよ。まあ、自分が書いた文章は当然のこととして理解はできますが、人が書いたこのレヴェルの文章だったら、目で読まないと理解できないでしょうね。少々技巧的な文章だし、引用は多いし、はっきり言って読むのにも厄介な文章。書き手が言うんだから間違いない。「長すぎる!」と文句を言いたくなるのも当然。 ちなみに、私個人は、そもそも音声読み上げソフトなるものも、知りませんでした。 しかし、そのような視覚障害をお持ちの方からの、お便りがあったために、それ以降、いわゆる障害者の方に関わる問題についても考えるようになりました。 体に障害があるのは、ダメダメ家庭の問題とは言えない。 しかし、障害がある家族に対して、どのように対応するのか? そのような点にダメダメ家庭は、やっぱりダメダメ振りを発揮したりするわけ。 それに、このメールマガジンでよく言及するボランティアの問題。 ボランティアの方も、このような体に障害がある方のサポートをするケースが多くありますよね? そのようなサポートは必要でしょう。 しかし、重要なことは配慮することであって、同情することではないでしょ? ちょっと前に京都府で障害者への給付金の増額問題云々でもめていたそうです。その運動をしている障害者やボランティアいわく。 「障害者は健常者より幸せになってはいけないの?」 ・・・だから、まあ「ワシらに、もっと金よこせや!」と言うわけらしい・・・ しかし、「健常者より幸せになってはいけないの?」という問い掛けは途方に暮れる。購読者の方だったら実際にどう答えますか?ちょっと考えてみてくださいな。ちなみに、このメールマガジンの常連さんだったら、その質問に対する私の回答の言葉なんて簡単に予想が付くのでは? そう! 「じゃあ、アンタの幸せって具体的にはどういうこと?」 それがわからないと、サポートも何もわからないじゃないの? 「高級クラブでネーチャンはべらせて、ドンペリをラッパ飲みしたい!それがオレの幸せ!」 そう思うのは自由でしょう。しかし、そのような幸せだったら、自分で何とかしないとね。 『幸せになってはいけないのか?』 そんな問いかけは、当事者意識のないダメダメな人間の会話のスタイルでしょ? 結局、そのような人は、周囲の人に同情を求めているわけ。 「ワタシがかわいそうな人と認め、同情してほしい!」 その気持ちはわからないわけではありませんが、かと言ってそれこそ、幸せになれるの? 「この気の毒な人が幸せになれるように、私たちみんなでサポートしていきましょう!!」 そんな風に言われても、どうしようもないでしょ? しかし、これがこのような要請だったら、対応することが可能でしょ? 「ワタシは視覚障害者で、自由に本が読めない。しかし、本をもっといっぱい読みたいんだ!だから協力してくれないか?」 そんな具体的な要請だったら、要請された場合には、自分のできることなどを具体的に考えて協力することもできますよね? 何も、点字タイプのような技能がなくても、本をスキャナで読み込んで、それを光学読み取りソフトにかけて、あとは文章の校正を行う・・・そうやって本の文章をテキストデーターにする。そうすれば、それこそ音声読み上げソフトを利用すればいいだけ。あるいは、テキストデーターになると、自動的に点字にできる・・・今はどうかは知りませんが、そんなこと技術的にそれほど難しいことではないでしょ? そうすれば、視覚障害者の方も文章に接しやすいでしょ? それに、スキャナで読み込んだり、文章の校正をすることは、誰だってできること。だから「協力してくれ!」と言われても、対応できますよね? 「幸せになりたい」・・・という要請には対応できなくても、「本をもっと読みたい」という要請には対応できる。 逆に言うと、要請する側も、そのように言わないとダメでしょ? それこそ「幸せになりたいから、協力してくれ!」なんて言うより、「ドンペリをラッパ飲みしたい!」という要求の方が、まだ具体的で周囲に配慮していますよ。何も遠慮はする必要はありませんが、配慮は必要でしょ?同情を求めている人って、ある意味、遠慮してない人ですよね? 体に障害があっても、当事者意識があれば、周囲の人にサポートを求める際に、相手に配慮するわけ。だから周囲も対応しやすい。だから事態も改善されていく。しかし、被害者意識だけがある障害者だったら、周囲に同情しか求められない。だから現状が全然改善されず、ますます被害者意識を募らせるだけ。 京都のような事例もありますが、先日驚いたのは、千葉県での話。 重度の障害のある子供を、普通学校(いわゆる健常者の学校)に入学させたいと、親が市に要求して、なんと署名まで集まったそうです。 重度の障害を持った子供を育てるのは、ご両親も大変なご苦労でしょう。 しかし、それを普通学校に入れると劇的に解決するものなの? というか、学校って、大人になった際に、必要な知識やスキルなどを習得するためのものでしょ?それはいわゆる健常者も障害者もまったく同じ。ただその必要とされるスキルが違っている・・・そんなものでしょ?障害がある方が社会で何とかやっていくためのスキルって、一般の学校で習得できるの? その親はどうして、そんなに「普通学校」に入れたがるの? しかし、ダメダメ家庭の心理を理解していると、理解するのにそれほど難しくはない。 ダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。「ワタシがどんなにかわいそうな被害者なのか、みんなにわかってほしい!」そのように熱望しているわけ。 重度の障害のある子供を、普通学校に入れると、まさに人から同情してもらえるでしょ? 「まあ!あなたなんてお気の毒な!」 「親御さんもタイヘンねぇ・・・」 「こんな障害を持った子供を育てるオレたちって、なんてかわいそうなんだ!」 「みんなもそう思うだろ?」 そうやって、被害者意識を満足できるじゃないの? しかし、それでは子供の教育にはならないでしょ?だって必要なスキルが全然身につかないわけですからね。いわば一種のネグレクトじゃないの? そんな児童虐待をどうして署名して支援するの? そんな署名をした人が、その子供のその後の人生をサポートしてくれるの?署名しても、グチの共鳴だけで終わっちゃうわけでしょ? そもそもその親は、その子供がどんな風に育ってほしいの? それって、まさに「ふ・つ・う」と言うだけなんでしょ? だから「普通学校」に入学させようとする・・・しかし、そんな「普通学校」に入学させると、自動的に障害が直るわけでもないでしょ? 障害者への配慮という言葉は言葉でいいとして、現実のほとんどは、配慮ではなく同情のケースが多いわけ。そして与えるほうだって、配慮より、同情の方がラクでしょ? だって、「アナタなんてお気の毒な!」って言っていればいいだけですからね。 配慮というものは、要請する方も与える方も、自分で考える必要があるわけ。 だからこそ、ダメダメな人間にはできないことなんですね。 何もハンディキャップをある人を、見殺しにする・・・と言うわけでなく、ハンディのある本人が自分の具体的な希望を掲げ、それを周囲に説明する・・・そのことが先でしょ?って申し上げているだけです。その具体的な説明から、会話が発展して、事態が改善して行くわけでしょ?同情で事態が改善するわけでもないでしょ? 「気の毒な人に配慮しよう!」と言っている人は、同情するだけで、結局は配慮なんて何もしていない・・・ 現実は、そんなものでしょ? さて、メールマガジンの文章は、かなり以前よりドラフトが出来上がっていて、それを配信直前になって、微調整していく・・・そんなスタイルで配信しております。 今回の文章も、そんな感じ。 この「配慮と同情」の問題については、まさにドンピシャ!という事例が、奈良県で明らかになりましたよね? 病欠という名目で、ほとんど出勤していないのに、給料だけを受け取っていた、奈良市のスタッフの問題。 関西を「知っている」人だったら、あのニュースの見出しだけで、「その人」がどんな素性なのか、簡単にわかるはずです。 「きれいなネーチャンをはべらせて、ドンペリをラッパ飲み」なんて、コッチはギャグで書いているのに、実際にやっているとは!・・・いやぁ・・・事実は小説より奇なりとはこのこと。関西は侮れない! 確かに、いわゆる被差別部落の問題は、本人のせいではない。 だから重要なことは、本人が「これをやりたい!」と希望があれば、その実現のためにサポートすることでしょ?「アナタたちお気の毒ねぇ・・・」なんて同情することではないでしょ?本人のせいではないハンディについて、その困難さに配慮することは必要でしょう。しかし、本人が特に希望がないのだったら、周囲のサポートも何もないでしょ?だって、具体的にどの点を助ければいいの? 結局、「同情したい」ダメダメ人間がそのような人の元に寄っていって、「アナタお気の毒ねぇ・・・」とやってしまう。そうして「わたしたちは幸せになっていけないのか!」と、不労所得にありつくわけ。 そんなゴネ得が可能な状況になると、「オレも!オレも!」と、似たものがどんどんと寄ってきて、もう対処のしようがない状態。新たにやってきたゴネ人間に援助しなかったら、「アイツだけもらって・・・どうしてオレにはダメなんだ!ああ!オレは差別されている!」と得意の被害者意識が爆発するだけ。 そのような人たちも、本来なら、マトモな仕事をしたいということなら、関西のような地域を出て、別の地域でやり直せば済む話。 そのための金銭的な補助の問題はあるでしょうが、それが一番現実的でしょ? しかし、差別問題がある地域に居座って、「差別されているから、金よこせ!」って・・・ まあ、この手の問題ではお約束ですが・・・ そして「オレはかわいそうな被害者なんだから、他の人に迷惑を掛けてもいいんだ!」と、これもまたダメダメのお約束の発想。 当事者意識の欠如と、強い被害者意識というダメダメ家庭を考える必須の要素が、見事に展開されているわけ。 しかし、だからこそ、マトモな人間から鼻つまみになるわけですし、そんな人に同情する人間も、グチに共鳴するだけのダメダメ人間。 こうやって、ますますダメダメが進行するわけ。 本人は、ダメダメに徹するのも勝手でしょうが、その人たちの子供はどうなるの? しかし、そんなダメダメな親は、子供に「被害者教育」をするわけ。「オレたちはかわいそうな被害者なんだ!」と、子供に教え込む。そうやって、子供もダメダメにしてしまう。 ダメダメから脱却するのは、まずは本人の自覚と意思が必要。それを実現させるための、具体的アクションについては、何らかのサポートも必要でしょうが、本人の自覚もないのに援助を与えるのは、本人のためにはならないわけ。だってダメダメに安住するだけでしょ? そんな援助は、子供にとっては、害にしかならないわけ。単純に同情している人は、結果的にダメダメな親と一緒になって児童虐待をしていることになるんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 しっかし・・・最近は奈良県が熱いですねぇ・・・ 自宅に放火した子供もいましたし、小学生の女の子の誘拐殺害事件も奈良県でしたよね? そもそも、こんなゴネ得の社会を放置してしまうから、同じようなゴネ得人間が集まって、治安も悪くなる。こんなこと、それこそ子供だってわかること。 ゴネる人間は、被害者意識が強いわけですし、「自分が一番かわいそうな人間なんだから、他の人間に迷惑を掛けてもいいんだ!」と思っているから、そんな人に言葉で説得しても無理。 こうなると、まさにスパイラルのように、事態が悪化するだけ。 まあ、マトモな人間が唯一出来ることと言ったら・・・ まさに奈良県の御婦人が、いいことをおっしゃっていましたよね? 「引越し!引越し!パンっ!パンっ!パンっ!」 |
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