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ダメダメ家庭出身者のキャラクター
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カテゴリー ダメダメ家庭出身者のキャラクター
配信日 07年2月13日
タイトル 好意不感症

ダメダメ家庭では、親は子供のことなど関心がない。
それこそ「子供なんて、て・き・と・うに育てばいいや!」
「ワタシに迷惑をかけなければ、それでいい!」
そんな感じ。
これって、何もご近所の子供についての話ではありませんよ。自分の子供について、このように思っているわけ。ダメダメな親にしてみれば、自分は子育てと言う面倒を背負い込まされた、かわいそうな被害者という認識なんですからね。

そんな親は子供の将来なり、現在の困りごとを親としてサポートする意識などこれっぽちもないわけ。だから子供としては自分だけで物事を解決する必要がある。
だから、そんな環境の中の子供は、自分の意向が実現できない現実の世界より、妄想の世界に生きるようになってしまい「恋に恋して暴走」なんて事態になってしまうわけ。

このような妄想への親和性が高くなると、ちょっと人から親切にされただけで、「あの人・・・きっとワタシのことを好きなんだ!」なんて勝手に認定して、「あの人には、このワタシが必要よ!」なんて思い込み、それこそストーキングするようになってしまう。

ちょっと親切にされると、そのように勝手に好意認定する事例については、以前にこのメールマガジンで配信しております。ダメダメ家庭の周囲では結構ポピュラーな事例なんでですね。

勝手に好意認定・・・のケースもあるわけですが、逆のケースもあります。
人からの好意に不感症というケースです。
人からの好意がまったく認識できないし、理解できない・・・そんなパターン。

そもそもダメダメ家庭では、親が子供の面倒を見るなんて、考えていない。これはいつも書いていますし、今回も最初に書きました。
つまり・・・親は自分の子供に好意を持っていないわけ。
子供にとってもっとも「好意」とか「愛情」において身近な存在であることが通常の存在である、自分の親から「好意」とか「愛情」を受けられない・・・
そんな状態から、どうやって「自然な好意」とか「愛情」を理解できるようになるの?

ダメダメ家庭では、単に親からの好意がないというだけではありません。ダメダメな親は被害者意識が強くスグに逆上する・・・そんな家庭はある意味において抑圧的であり、そんな環境の中で子供としては「自分で自分を抑圧する」ようになってしまうわけ。そんな自分自身で自分の感情に抑圧を課すような子供が、「人の気持ちがわからない」人間になるのは当然でしょ?

だからそんな人は、周囲の人から親切にされると、いびつに捉えてしまうようになるわけ。「あの人・・・ワタシに恋しているんだ!」とか・・・逆に、ただ単に「ふーん・・・」と感謝もない状態。
親切にされて「ありがとう!アンタは親切な人ねぇ・・・」なんてことで済むようなケースでも、不自然に捉えてしまうわけ。

もちろん、世の中には、何事も鈍感という人もいますよね?
しかし、ダメダメ家庭の好意不感症は、人からの好意に対して実に鈍感であって、その他の面では結構鋭敏だったりするケースもあったりするものなんですね。
文学なりその他の芸術に対して、的確な視点を持っていても、いざ「自分が好かれる」ということがサッパリ理解できないわけ。だって、そんなこと自分の育った家庭では「なかった」ことなんだから、理解しようもない。

まあ、何事も鈍感というのなら、逆に話は簡単で、周囲の人間もそんな人を理解しやすい。「アイツは鈍い人だなぁ・・・」でオシマイ。
しかし、「人からの好意」だけが鈍感と言う人については、周囲も理解できにくい。しかし、まあ、意外にも容姿端麗だったり、別の面で妄想系だったりとかの、その他の要素を考えていけば、ダメダメ家庭出身の「好意不感症」のケースかどうかもわかるものなんですね。

まあ、そんな好意不感症は、本人にはどうしようもない。
重要なことはそれを自覚するしかないわけ。
自覚しないでそのまま行ってしまうと、結婚の際にはどうなるのでしょうか?
だって、人からの自然な好意が理解できないわけでしょ?どうやって相手を選ぶの?

いわばフィーリングで感じ取れる好意が理解できないので、ある種マニュアル的に表現される「形式的に整った好意」に飛びつくようになってしまうわけ。
誰にでもわかる、分かりやすい好意。マニュアルどおりの行動と言葉で示される好意。
そんなスタイルでないと理解できない。

それに、好意に不感症ということは、「キライ」という感情にも不感症ということ。そもそも実家では、そんな状態が「自然」だったわけですから、「キライ」という状態を不自然とは感じられない。
あの人から嫌われているなぁ・・・と思ったら、一般的にはその人を避けるようにしますよね?しかし、そんなことも感知できないんだから、それこそストーキングなどの面倒なことをやってしまう。
そうして、「どうしてわかってくれないの?!」とか「どうしてこんなことに!ああ!ワタシって何てかわいそうなの!!」とおなじみの嘆き節。

そんな嘆きを上げていると、得体の知れない宗教団体や、マニュアルどおりの善意を売り物にするボランティアの連中が寄ってきて、まさにお約束の甘い言葉が登場。
「まあ、なんてお気の毒な!アナタは全然悪くはないのよ!」
そうやって「かわいそうなワタシ!」という認識がより深まってしまって、事態の認識からより遠くなってしまう。

他者が自分に好意を持っている・・・そのことを自然に感知する。
そんなことは意識して習得できるものではありませんよ。家庭の中で、それこそ自然に身に付けるようになるものでしょ?しかし、ダメダメな実家ではそんなことは身に付かない。
だから、その点を意識して、自分自身が「好意不感症」であることを意識するようにするしかないんですね。


(終了)
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発信後記

自然から遠いのがダメダメの自然。
自然にわかるものは、ダメダメ家庭においては自然にはわからない。

分からないこと自体が、周囲の人も、ダメダメ家庭の人の双方とも、自然にはわからない。

まあ、いつもながらの逆説的な言い回しですが・・・そんなものでしょ?