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ダメダメ家庭の見分け方、考え方
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カテゴリー ダメダメ家庭の見分け方、考え方
配信日 07年3月27日
タイトル 説得の方法

かつて、日本の首相をされた田中角栄氏は「政治は説得だ!」なんて言ったそう。
「人に対し自分の考えを説得する」その能力が政治家にとって必要なことなんだ!
ということなんでしょうね。
これは昔だけでなく、今でも同じ。
じゃあ、どうやって説得するの?どのような論理で?どのような方法で?
さあ!どうする?

一番オーソドックスな方法は、言うまでもなく、数字を使ったものです。
それこそ政治の世界だったら、統計によって得られた多くの数値がありますよね?それらの数値が頭に入っていて、いつ何時でも自在に引き出すことができる。
そもそもそんな頭脳を持っている人の言うことであれば、当然のこととして説得力があるでしょ?あるいは、頭に入っている多くの数値から導き出された考えなんだから、信頼に足るでしょ?

よく数字はウソをつかない・・・なんて言われますが、数字を使った説明のいいところは、基本的にごまかしがきかないところにあります。数字と言うものは客観的なものなんですね。だからお互いに共有しやすい。考えを共有・・・って、まさに説得ということ。

逆に言うと、数字を使わないで、散々と言われても、言われたほうは途方に暮れるだけ。

数字を使わない・・・というと、たびたび取り上げたりしています韓国の歴史教科書がそのスタイルです。事件の年号も出てこないし、人口や生産額などの数値がほとんど出てこない。だから読んでいて、「で・・・結局、何を伝えたいの?」「結局は、どんな状態だったの?」と思うだけ。
そもそも歴史教科書で数字が出てこないということは、過去において、数字を使った政治をしてこなかったということでしょ?それこそ「政治は説得だ!」なんて言葉を例にすると、じゃあ、どうやって政治をしてきたんだろう?どうやって説得をしてきたんだろう?

まあ、政治においては、マトモな国の運営においては、数字が必要となり、それが政策の元となり、それが説得の元となる・・・って、当たり前のこと。
それに数字を使った説得は、努力をすれば誰にだってできることでしょ?
宮崎県の知事になった「そのまんま東さん」が、選挙キャンペーンの最中に多くの数字を出したそうですが、そのような説明をすることによって、「自分はよくわかっているヨ!」とアピールできるわけでしょ?

誰にだって出来るとは言いがたいのが、いわば芸術的な説得力。
「芸術的な説得力」っていったい何?なんて思うでしょ?

これは、自分でも気が付いていないような面を気が付かせてくれるような説得と言えるでしょう。
ロシアの作家のチェーホフの1892年の作品「6号病室」という小説を読んだレーニンは、「この主人公って、まるでオレじゃん?!」「この6号病室って、ロシアそのものじゃん!」と絶句したそう。
途方もない洞察力で描かれた作品に接すると、「この作者さん・・・自分のことを知らないはずなのに・・・どうして完璧にワタシのことを知っているの?」
なんて思わされることもあるでしょ?

自分自身のことが完璧に書いてあるだけでなく、自分について自分でもわかっていなかったことまでちゃんと当たっている・・・
「ゲっ!そう言えば・・・ワタシ・・・こんなことしているわ!」
それはスゴイ説得力ですよね?

まあ、レーニンはさすがレーニンですから、「これってまるでオレじゃん?!」と絶句しても、作者のチェーホフに逆上の手紙を送ることはしない。
しかし、一般的には、やっぱり逆上してしまって、作者に抗議のメールなんてことをやったりするわけ。
まあ、いいんだけどさっ。

このような説得の手段は、数字を使ったものとは違って誰にだって出来るというものではありません。しかし、数字を使ったものと同じように、検証することは誰にだって可能でしょ?
自分自身がどんな行動をしているのか?
それって、自分自身がその気になればわかる話。だから検証してみて、指摘のとおりだったら、そのような人の考えを取り入れていけばいい話。作り出すことは誰にもできるわけではありませんが、受け入れることは誰にもできること。最初に挙げた数字を使った論理も当然のこととして検証可能でしょ?だから双方ともある種の客観性があるわけ。

だから、その指摘にどのように対処すればいいのか?受け手の側で判断できる。
しかし、受け手が判断しようもない説得の手段もあるわけです。

ダメダメ家庭の人間は、権威主義的である。
このことは以前に書いて配信したことがあります。自分で考えることから逃避するダメダメ人間は、「何を言っているのか?」という点については重要視せず、「誰が言っているのか?」という点だけを重要視するわけ。

「権威ある○○先生がおっしゃっているのだから、オマエらは黙って従え!」
こんな調子なんですね。
「権威ある○○先生」と言っても・・・その人がそう思うだけで、別の人間はそう思っているとは限らないでしょ?
しかし、自分で考えることから逃避するダメダメ人間にしてみれば、そのように問答無用で言ってもらった方がラクなんですね。だって受け手は検証しようがないでしょ?だから考えなくてもいいわけ。

そんな人間同士が集まって「○○先生がこう言った!」「△△先生はこう言っている!」なんてやり取りになってしまう。
実は、韓国の歴史教科書がまさにそんな感じ。そんな教科書で勉強した若い韓国人がバカになってしまうのは当然ですし、客観的な意味での説得力なんて付かないでしょ?

権威主義的な説得に終始する人は、客観的な説得力がないがゆえに、周囲からの同意を得ることができなくなり、相手にされなくなる。となると、その手の人は説得力を強めようと、ますます権威主義的になり問答無用の度が進むことになる。

そもそも、その「えらい○○先生」とやらは、どうやってそのような考えを持つに至ったの?数字を元にして?それとも極限の洞察力?
本来は、その「えらい○○先生」さんにも、思考の根拠があるはずでしょ?しかし、権威主義的な世界だと、その「えらい○○先生」の考えの根拠も、「もっと前のえらい□□先生」になってしまう。まあ、結局は文献の解釈学に終始しておしまい。

そんな話を聞いていても、「で、結局何を伝えたいの?」と思うのは当然ですよ。

逆に言うと、相手の人がどのような手段で説得しようとしているのか?その点を見るだけで、その人の説明能力や会話能力や思考力がわかったりするもの。
自分の言いたいことを自分自身でよく確認し、それを相手にわかりやすく伝える・・・説得って、そういうものでしょ?しかし、そんなことはダメダメ人間にはできないわけ。ダメダメ人間は、それにふさわしい自分勝手な説得の方法を取っているもの。

ダメダメ家庭は会話不全の家庭と言えます。これは単に言語能力の問題というより、説明の仕方なり、説得の仕方についての基本認識が違っている、そんな理由もあるわけです。
聞いていてツマラナイ人の話をガマンして無理に聞いていると、そんなダメダメに染まって、自分までダメになってしまう・・・そんなものなんですね。


(終了)
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発信後記

本文中でロシアの作家チェーホフについて言及しましたが、できれば、そのうちに彼の作品を紹介したいと思っています。
できることなら、皆さんも、彼の最後の4つの戯曲くらいは読んでみてくださいな。
途方もない洞察力に言葉を失ってしまうでしょう。
ダメダメ家庭の問題を、あまりに的確に描写しているので、読んでツライところもあるわけですが・・・

さて、次回は、またもや、日本の映像作品を取り上げます。
ダメダメ家庭そのものを描いた作品ではないのですが、ダメダメ家庭の問題を含めた色々な問題を解決するに当たって参考になる・・・そんな視点で、その作品を考えてみたいと思っています。
まあ、記念の回なので、ダメダメ家庭とは直接的には関係ないお話を取り上げてみるのもいいかな?と思っているんですよ。