| カテゴリー | ダメダメ家庭の認定行動 |
| 配信日 | 07年5月18日 |
| タイトル | 敵認定の儀式 |
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強い・・・なんて、いつもの書き出しですが・・・ 被害者意識が強く、いつだって「ワタシって、何てかわいそうなの?!」と思っているもの。そのような人は、単に自分を哀れんでいるだけならまだしも、「このワタシに被害を与えた犯人は誰なんだ?」と、犯人探しをしている状態。 ダメダメ人間にしてみれば、「あの人のこのような点がヘンだ → その点がワタシに悪影響を及ぼしている →だから、あの人が犯人なんだ!」そんな流れではないんですね。むしろ、「何か上手く行かないなぁ→きっと誰かがワタシに悪さをしているせいなんだ→きっとあの人が犯人だ!」 そんな流れになっているわけ。 考え方が時系列的に違っているわけです。原因があるから結果があるのではなく、状態から、原因を設定するわけ。 結局は自分自身の問題を他者のせいにしているだけなんですね。だから犯人が具体的に誰なのかは、実は重要ではないわけ。とにもかくにも犯人がいることが重要。 このメールマガジンでは、ダメダメな人間とはヘタに関わると危険なので離れるしかない、なんてよく書きますが、そのような事情があるわけです。ダメダメな人間と、たまたまグチで盛り上がって、楽しい気分になっても、いつのまにか自分が犯人認定されてしまう・・・そんなこともあるうるわけ。ありうるというか、実に頻繁に起こっていること。 「あの人のこのような点がキライ → だから、あの人が犯人。」そのような流れでなく、「誰か犯人となる人はいないかなぁ・・・→ あの人が犯人としてちょうどいい!」といったスタイル。はっきりいって根拠なんてあったものではない。だから自分がとりあえず設定した犯人を、自分自身に納得させる行為が必要になってくる。「やっぱり、悪いのは全部コイツのせいなんだ!」そのように「自分とっての敵が誰なのか?」「この人こそがその犯人なんだ!」と確定させる儀式のようなものがあるんですね。 そのヴァリエーションを、このメールマガジンでは頻繁に取り上げております。 インターネットの掲示板にいやがらせをするようなことだって、本当なら本人にしてみれば何も得にもならないわけでしょ?しかし、「悪いのは全部アイツのせいだ!」と自分自身に確認するには有効でしょ? あるいは、集団で、誰かを犯人認定する「つるし上げ」などが、その典型でしょう。 集団で犯人確定する儀式もあるわけですが、個人だったら誰かを「つるし上げる」ことも難しい。まあ、「つるし上げ」を個人が家庭内で行うと、ドメスティック・ヴァイオレンスなり児童虐待になる。 そのような行為は、「オレは悪くない!悪いのは全部オマエのせいだ!」と言う関係性を、確定させる儀式なんですね。 お互いが、その儀式を通じて、「被害者と加害者」の位置関係を確定させるわけ。だからそんな儀式は、お互いにとってわかりやすいものである必要がある。 当然のこととして、言葉ではなく、誰にでもわかるような肉体的なものになってしまいますよ。まさに痛みを通じて、お互いが認識し確認し合うことになる。 そして、その痛みの度合いが強いほど、お互いの認識に、お互いの関係性が強く刻み込まれるわけ。 自分自身でも、自信がなく、言葉では説明できないことだからこそ、その犯人確定の儀式に必要とされる「痛み」が大きくないといけない。 さて、福島県で、何か猟奇的な事件があったようですが・・・ 母親の首ですか? このメールマガジンは、エグイことを書いていますが、意外や意外、あの手の血なまぐさいシーンは、どっちかというと回避しています。私は、心の痛いところを言葉で突くタイプで、どっちかと言うとフランス人的な文章。サディストと言ってもプラトニックなタイプなんですよ。まあ、それはいいとして・・・ ノコギリで切断なんて・・・そもそもが面倒。 しかし、その手間と痛みこそが、必要とされる、そのような儀式もあるわけ。それだけ、自分の考えや、やっていることに自信がないわけです。だからこそ、強引にでも、自分自身に被害者と加害者の関係性を確定させる必要がある。 まさに「コイツのせいで!コイツのせいで!」と、自分自身に確認しながら、「作業」を行うわけ。 そもそもダメダメな人間は、自分から逃避している。だから自分が上手くいかない理由だって、自分でもわからないわけ。かといって、現状として上手く行っていないのだから、「誰かを犯人認定したい!」と切望している。そして、とりあえず認定した犯人を、自分自身で確認し、確定する。 「コイツが我々の敵なんだ!」 そのような自分への確認が必要とされるわけです。 実際、「首」を持ってくるとなると、まさに戦国時代でしょ? 敵の武将を討ち取った! 心理的にはそんな状態があるんでしょう。もちろん、無意識的にですが。 本来は、自分と母親との間に問題があるのなら、話し合いで解決すれば済む話ですが、そもそもがダメダメ家庭というものは会話不全の家庭。そして会話不全というだけでなく、親の被害者意識が強いので、そんな家庭で育った子供は「親に迷惑を掛けてはいけない!」と親に関する思考はアンタッチャブルになってしまう。 こうなると、誰か自分とは関係ない人間を、勝手に犯人認定して、その認定した犯人を襲撃したり、あるいは「政治が悪い!」ということでテロ行為に走ってしまう。 アンタッチャブルとなっている自分の親以外で、犯人を捜すようになるわけ。 しかし、親との関係に目を向ける・・・そんなケースだってやっぱりあるわけ。しかし、「親に迷惑を掛けられない」と思っているので、冷静な思考なんてできない。 「親に迷惑を掛けられない」状態で、親との問題を考える・・・そんな必要が出てくる。 親のどの点が問題なのか?そのような個別で具体的な思考にはならないわけ。 むしろ、自分の親を一気に犯人認定する儀式をすることになる。 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ上で爆発するわけです。 まさに「敵の大将を討ち取ったり!我々の積年の恨みを晴らしたぞ!」 そんなシーンは、忠臣蔵のような日本だけでなく、旧約聖書の時代からやっていること。敵の武将ホロフェルネスを討ち果たして、その首を持ち帰る女性ユーディットを描いた絵を見たことがある方も多いでしょ? 逆に言うと、首を持参するという行為によって、その首の持ち主が「敵の武将」であると自分に認定させる行為というわけ。 自分の親のどの点が問題なのか?不快なのか?それを具体的に考えられないからこその、敵認定の儀式なんですね。 もちろん、そんな家庭にしたのは、その子供ではない。 自分の子供に対して「親に迷惑を掛けるな!」と言い続けだったその成れの果てが、こんな結果につながるわけ。思考の空白部分を一気に埋めようとする行為であり儀式。だからこそ、その行為は、極端で激しいものにならざるを得ないわけです。大きなアンタッチャブル領域を埋めるためには、あんな過激な手段が必要になってくるわけです。 普段から話し合いがあれば、あんなことは必要ありませんよ。 逆に言うと、「あの人は、どうも自分の親の問題はアンタッチャブルだなぁ・・・」と思わされる人は、あんなことをする可能性があるわけ。 まあ、自分の親の『み印』を頂戴するくらいなら、まだしも、勝手に犯人認定されて、犯人確定の儀式に巻き込まれたら、たまったモンじゃあありませんよ。しかし、そんな人って結構いたりするでしょ? アンタッチャブル領域の大きさは、いわば触れれば爆発する地雷の大きさのようなもの。シャレでもなんでもなく、ドッカーンとなっちゃうわけです。 日頃から自分のことについて考え、自分のアンタッチャブル領域を自覚するとともに、それをできるだけ小さくしていく・・・そんなことが必要になってくるんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 まあ、期待もあったでしょうから、事件のお題にいたしました。 今回の事件で、少年と母親との間には何の問題もなかった・・・とか、言っている関係者もいるらしいのですが、それって実際に何も問題がなかったというより、親との関係における問題がアンタッチャブルだったというだけ。 そもそも自分から逃避していて、会話の能力のない人の「言葉」を鵜呑みにしたら、バカですよ。このメールマガジンで何回も書いていますが、「言われていること」から考えるよりも、「言われていないこと」「言おうとしないこと」そこから考える必要があるわけです。 まあ、福島県の警察の連中がどんなマトメにするのかは、興味がありますが・・・ 何回も書いていますが、ダメダメというのは、問題があることではなく、問題を見ようとしないこと、なんですね。 問題がなかった・・・と言えてしまうこと事態が、大問題というわけです。 まあ、皆さんは、あのような大きなアンタッチャブル領域を持った人を避ける・・・そんな必要があるでしょう。そんなアンタッチャブル領域を抱えた人は、スグに逆上する人と重なることが通例。 今回の事件だって、ある意味、静かなる逆上なんですね。 ちなみに、犯人の少年の父親が手記を出したそうですが、今のところはその文面を見ることができないので、何とも申し上げられません。ただ、署名が「被害者の夫」だったとのことで・・・まあ、そのような表記にすること自体が、この事件の原因をよく表していると言えるでしょうね。 |
|