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子供がピンチの時
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カテゴリー 子供がピンチの時
配信日 07年12月25日
タイトル 関係チェック

以前に「苺ましまろ」というアニメ作品を取り上げました。そのアニメの登場人物の「美羽(みう)」ちゃんが、重症のダメダメ家庭の子供である・・・そんな観点での文章です。
アニメを取り上げたのは、入手性という考えです。だって入手しやすいんだから、メールマガジンの文章を読んだ後で、購読者さんが自分でその作品を見て、自分の頭で考えてみることができるでしょ?

なんでも、あのアニメは深夜での放送だったそうで・・・
その点は私は知りませんでした。購読者さんからご丁寧にも教えていただきました。
まあ、アニメ作品は入手性がいいせいか、「食いつき」もいいんですね。
もちろん、色々教えていただけることは大歓迎ですよ。
ただ、あまりに「濃い」ネタだと、私も対応できません。それこそ以前には、聞いたこともないオタク評論家の本を参照されて、「解説」されてしまったことがありました。そんな「濃い」話は同類同士でやってよ!
私としては、人が気がつかないような「薄い」状態から、その心理を読んでいくタイプなんですよ。

ちなみに、私はジャンルには関心がありません。小説だろうがオペラだろうがアニメだろうが、ジャンルの問題よりも、その作家性に注目いたします。その作家さんが、何を見て、どのように考えたのか?その点を読み解いているだけです。

まあ、それはさておき・・・

あの「苺ましまろ」での美羽ちゃんの基本的な発想は「ワタシに構って!」というもの。
トラブルを自分で作り出し、「自分に構ってもらう」状況を作り出すわけ。
トラブル状態になると、そのトラブルが大きくならないように、周囲としても構う必要があるでしょ?だから、結果的に構ってもらえる。
逆に言うと、その美羽ちゃんは、普段から親に構ってもらっていないことがわかるわけ。

自分でトラブル状況を作り出し、そのトラブルによって、構ってもらう。
そんな行動パターンの目的として、「ワタシに構って!」という目的以外にも、「関係チェック」と言える目的もあります。

ダメダメ家庭の子供は、ちょっとしたトラブルを起こし、その対応状況によって、周囲の人を色分けするわけ。自分との関係をチェックするわけです。
この人は・・・無視したから、当てにならない人だ!
あの人は・・・怒鳴りつけたから、自分を嫌っている人だ!
あの人は・・・親切に助けてくれたから、頼りになる人だ!
あの人は・・・同情してくれたから、自分に好意を持っている。

本来は、そんな色分けをして、頼りになる人を見つける必要などなくて、子供にとっては、絶対的に頼りになる人・・・つまり自分の親がいるわけでしょ?しかし、ダメダメ家庭では、親は子供のサポートなんてしない。子供が困っていても知らん顔。むしろ、「いったい・・・いつになったら、親に迷惑をかけないようになるんだか・・・」と冷たい表情で子供を眺めるだけ。

そんな状況だからこそ、自分が頼りになる人を、自分で見つける必要があるわけ。だから自分が起こしたトラブルへの反応をチェックすることによって、人々をカテゴリー分類しているわけ。

そうして、「頼りになる」あるいは、「好いてくれる」と認定した人に対しては、更なるトラブル状況を作り出し、より一層、「頼りになるかどうか?」を確定させようとするわけ。
あるいは、『妙に』甘えたりして、「自分に対して抱いている好意」を持続させようとしたりすることになる。

「苺ましまろ」における美羽ちゃんの行動も、典型的にこのパターン。
作者さんだって、ちゃんと、「見て」、考えて作っているわけです。

まあ、これが小学生だったら、許せても、大人がこれをやったらシャレにならない。しかし、現実的にはこのまま突っ走ってしまうもの。大人になっても、そんな調子なんですね。

やたらトラブルを起こして、「誰が自分のサポートをしてくれるのか?」見極めようとしたり、「自分に対して抱いている好意」を持続させようと、いい歳をして甘えたり、あるいは、付きまとったりするわけ。

さて、大人になってもそんなパターンの典型が、先日の長崎の発砲事件での犯人。
銃器を持ち歩いたり、車をねだったり・・・
これも、まさにトラブル状況でしょ?
そんなトラブル状況を作り出し、親から「構ってほしがっている」と同時に、周囲の人の反応を見ているわけ。マトモな家庭なら、自分の親がちゃんと対応するはずでしょ?しかし、ダメダメな親は何も対応しない。ダメダメな親は「どうしてこんなことに?!」「ワタシってなんてかわいそうなの?!」とグチっているだけ。
逆に言うと、自分の親がそんなにダメダメで、まったく頼りにならないからこそ、ますます、頼りになる人を求めて、そのような「関係チェック」が必要になってくるわけです。
トラブル状況を作り出し、その対応なり反応を見て、周囲の人間を色分けする必要があるわけ。

トラブル状況の中でグチばかり言っている人に対して「で、いったいアナタはどうしたいの?」なんて言おうものなら、その「関係チェック」で不合格になり、ヘタすれば敵認定されてしまう。無視したら、「頼りにならない人」認定。ここで「頼りにならない人」と認定されたのならまだしも、逆に「あの人は頼りになる!」なんて認定されてしまうと、後が厄介。
たまたま、困っている様子の人を助けてしまった。そうしたら、その「困っている様子」が、実は、その人にとっての「関係チェック」だった。そうなると、その「関係チェック」に合格してしまい、「頼りになる人」認定。そうなると、その後ずっと「頼りにされて」しまうわけ。

そもそも、ダメダメ家庭の人間は、自分で考えることをしない。自分の思考そのものを抑圧しているので、いったん決めた関係なり役割を後になって修正できない。
だから、「アイツは頼りになると認定してあげたのに・・・自分の思い通りに動いてくれない!」なんてことになって、今度は強圧的に、命令をするようになってしまう。「このワタシはオマエを頼っているんだぞ!そこのところを、ちゃんとわきまえろよ!」「オマエの立場をわからせてやる!」なんて物言いになってしまうわけ。
しかし、その人の立場とやらも、トラブル時にたまたま助けたから、「頼りになる人」認定を勝手にされてしまっただけ。結局は、更なるトラブルに発展してしまう。

本来は、子供にとって一番頼りにならなければいけないのは、自分の親のはずでしょ?
しかし、そうではないがゆえに、頼れる人を求めて、更なる関係チェックが必要になり、さまざまなトラブルが必要になるわけ。そんな状況になっても、ダメダメな親は我関せず。

このように「頼りになる人」認定ではなく、「自分に対して好意を持っている人」認定を受けてしまうと、まさにストーカー状態。
その人がトラブルで困っていたように見えたから、ちょっと助けてあげたら、「まあ!なんて親切な!この人は、ワタシに気があるんだわ!」と認定されてしまうわけ。

助けた側の人は、目の前で困っている人がいたから、助けた・・・ただそれだけなのに、「関係チェック」としてトラブル状況を作り出したダメダメ人間にしてみれば、まさに「関係チェックに優秀な成績で合格した!」となってしまう。

あるいは、「関係チェック」としてのグチもあります。グチに対して、同情してしまったら、「あの人は、私の苦しみを理解してくれる人だ!」と入れ込まれたりすることに。そうなると、シャレにならない。

「信頼できる人」認定も、「好意を持ってくれている」認定も、自分に対して絶対的な理解者であり、頼りになり、愛情を持っている「はず」の、親という存在の不在の結果なんですね。

そんな観点で見てみると、あの長崎の事件も、実に理解しやすいでしょ?

殺された人は、「頼りになる人」認定とか、「自分を好いている」認定をされてしまった人でしょ?

目の前で困っている人を助けると、「関係チェック」なり「愛情チェック」に合格してしまって、付きまとわれる、って、迷惑な話ですが、それがダメダメ家庭周辺における現実。

ダメダメ家庭は避けるしかない、とこのメールマガジンで書いていますが、あの事件では、殺された女性にしてみれば、基本的には避けようがなかったわけです。
あのような事件を、防ぐ義務も、役割もあるのは、あの犯人の両親ですが、肝心の両親に「その気」がないんだから、どうしようもない。
そうして、我関せずの両親は、いつものお約束のグチ。
「まあ、どうしてこんなことに?!」「ワタシってなんてかわいそうなの?!」

まあ、今回の事件そのものが、犯人が自分の親に対して投げかけた、最後にして、最大の「関係チェック」であり「愛情チェック」なんですね。
それに教会で自殺ということなので、まさに「汝の神を試みて」いるわけ。神様が自分に対して愛情を持っているのか?自分自身の命でチェックしているわけです。
そんな点から見てみると、実に理解しやすいでしょ?

(終了)
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発信後記

本日は、クリスマスなので、聖書からの言葉を取り上げる予定でしたが、例の事件に関連したお題にいたしました。まあ、聖書の言葉は最後にチラっと出てきますが。

あんな大事件も、ご近所のトラブルメーカーの子供の行動と、その心理においては大差がないわけ。ただ大人になると、行動のスケールが大きくなってしまう。
本来は、これくらいの心理は、ちょっと洞察力がある人だったらわかるはずですが、どうもそんな「解説」が出てこない。ただ、「苺ましまろ」の作者さんだったら、その心理もわかるはずです。どっちかというと芸術的な洞察力が必要なんですね。
しかし、現実では、マスコミとか、学者とかが、いつものように議論のための議論に終始してオシマイ。そうしていつも間にか、話題に上らなくなってしまって、そのうち、同じような事件がまた起こる。

逆に言うと、あの手の事件は予測できるわけですし、その気があれば回避できるわけ。あの事件の犯人の親を見れば、「行くところまで行く」ことが簡単に予想できるものなんですね。ちょっと付きまとわれた段階で、その人の親を見てみる・・・そうすると、「行くところまで行く」のか、「途中でストップがかかるのか?」それくらいは予想できるものです。

「関係チェック」を受けたのかな?と思ったら、「その人」の親をチェックしてみる・・・そうしないと身が危ないわけ。