[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

カテゴリー ダメダメ家庭出身者のキャラクター
配信日 08年2月1日
タイトル 極端な潔癖症

世の中には、病的なまでにキレイ好きの方もいらっしゃいますよね?
それこそ人の触ったものを、触ることができない・・・とか。
エスカレーターや電車の手すりがダメとか・・・
こうなると、トイレも和式でないとダメとなる。

まあ、確かに他人が触ったものは、何がついているのかわからない。いったん気にし出したら、神経質になってしまう・・・そんなことは現実にあったりするもの。特に昨今では、食品だって色々と入っているくらい。注意するに越したことはないのは確か。

まあ、食品の問題なり、病的なキレイ好きはともかく、ダメダメ家庭の人間が陥ったりするのは、男女関係における極端な潔癖症です。
そもそも、ダメダメ家庭の人間は、カテゴリー分類にこだわることが多い。そもそも会話の能力がないので、実際のやり取りの経験も少なく、妄想の方が優先されてしまう。カテゴリー分類というと、男女の分類なんて、まさにその代表。まあ、その男女の違いにこだわるのはいいとして、もともと被害者意識が強く、対抗心が強いものだから、それが過激な地点にまで行ってしまうわけ。

それこそ、芸術の世界でも、女性のヌードもありますし、男性のヌードもありますよね?
あのようなものを敵視したりするんですね。
キライならキライでいいわけですが、あんな絵や彫刻は街中に陳列されているわけではないでしょ?基本的には美術館にありますよね?そんなところに行かなきゃいいじゃないの?

しかし、ダメダメ家庭の人間は、自分から逃避している。自分が判断すること自体がイヤなんですね。だから「自分はその手のものがキライだから、そのような場所に行かない。」あるいは、「自分の子供が15歳になるまでは、あのようなものが置いてある場所には連れて行かない。」といった思考ができない。
そもそも「あること」自体がいけないんだ!
そう発想するわけ。回避ではなく、根絶を志向するわけ。

それこそ、芸術表現の分野だけでなく、このメールマガジンに対してでもありました。メールマガジンだって読んで不快なら購読しなければいい話ですが、自分で判断したくないので「どうして発行するんだ?!」なんてクレームになってしまうわけ。

自分から逃避しているがゆえに、行動は過激になってしまうわけです。自分から逃避している分だけ、「落としどころ」も遠くならざるを得ない。

逆に言うと、たとえばヌードの絵程度のものにも過剰反応するような人間は、自分から逃避して、対抗心が強く、スグに逆上する可能性が高いわけです。そんな人は、強いコンプレックスを持っていても、そのこと自体を認めようとはしない。だから、別の面でも過激なことをするものなんですね。

その手の事例の、歴史的な代表例として、20世紀の最大の有名人であるアドルフ・ヒトラーがいます。

彼は、酒もタバコもやらない「道徳的な人」であるばかりではなく、死ぬ直前まで、独身であって、その意味でも潔癖。自分自身が潔癖なのは勝手ですが、他人による芸術表現にも介入しました。それこそ、絵画とか、オペラなどにも口を挟んだわけ。ヌードの絵にイチャモンをつけたり、ヒンデミットという作曲家のオペラが、「ワイセツだ!」ということで上演禁止処分にして、モメたこともあります。

本来なら、オペラでヌードが登場しても、一般人には関係ないでしょ?いくらドイツの人でも、多くの人がオペラに頻繁に行くわけでもありませんよ。それに劇場なんて大きいんだから、舞台で女性がヌードになっていても、よく見えませんって・・・
それにオペラの歌手がヌードになったとしても・・・・ヴィジュアル的に・・・でしょ?

政治的に不穏当な表現を取り締まる、ということなら、まだわかりますよ。しかし、たかがヌードの一つや二つ、どうでもいいじゃないの?

キライならキライでいいわけですし、女性に対する恐怖感やコンプレックスがあるのなら、それはそれでしょうがない。要はそれを自覚して、必要に応じ改善していけばいいわけでしょ?
しかし、自分から逃避しているので、そんな判断はしない。

ということで「ケシカラン!」とか「ワイセツだ!」と、大騒ぎすることになる。まあ、今だったら「セクハラだ!」という主張はおなじみでしょ?そんな大騒ぎが、自分の被害者意識には心地いい。
オマケに、「ワイセツだ!」という主張に対しては、表立って反論できないもの。だからそんなクレームが実際に通ってしまって、「自分が被害者である」ことが認定される。その成功体験に味をしめてしまって、同じようなクレームを繰り返す。

男性でも女性でも、極端な潔癖症って、要は自己逃避なんですね。
自分から逃避している分だけ、他者の問題に口を突っ込む。そして自分が考えなくても、判断しなくても済むようにしたいから、根絶なんてことを言い出す。自分が判断していないものだから、結果的にうまくいかなくても「ワタシは悪くないっ!」といつもの自己弁護。

オペラのエロティックな表現への干渉と、ユダヤ人の根絶って、発想の根底は共通しているわけ。
心が弱い人間であるがゆえに、「イヤなら避ける」なんて、当たり前の判断ができないわけ。そんな人間と一緒に「道徳的な活動」なんてやったりすると、後世の歴史ではどう評価されちゃうのか?

道徳的な活動であるがゆえに、『人道』からは遠い・・・政治だけではなく宗教の周辺でも、そんな事例はいっぱいあるでしょ?
まあ、その手の「道徳的な活動」に熱心な人って、どのみち、一緒にいて楽しい人ではありませんよね?まあ、楽しくないだけなら、いいのですが、現実的には危険な存在なんですね。


(終了)
***************************************************

発信後記

本文中でヒトラーに言及しておりますが、ヒトラーというかナチスの主張のスタイルは、それほど突飛なものではありません。

「アナタたちは悪くない!」
「アナタたちは、○○による被害者なんだ!」
「悪いのは全部○○のせいだ!」
「その○○をやっつけろ!」

彼らがドイツ人に語りかけたことは、そんな調子。
その○○にユダヤ人とかヴェルサイユ条約が入ったりするだけ。
その○○に該当するものを、別のものにすれば、今だって、実にポピュラーな物言いでしょ?いわゆる市民団体とかボランティアの連中の物言いなんて、まさにそれでしょ?

本来なら、マトモな人は、そんな物言いに「胡散臭さ」を感じるもの。
しかし、精神的に疲れ果てた状態だったり、もともと人を見る目がなかったり、自分で考えることから逃避しているような人は、そんな物言いにすがってしまう。そして「ああ!ワタシってなんてかわいそうなの?!」と麻薬のようなひと時。

逆に言うと、ボランティアの連中も、そんな心の弱い人間をターゲットに擦り寄っていくことになる。「ワタシたちは困っている人を助けたい!」って、ご高説は立派ですが、結局はその人の尊厳を傷つけてしまうだけ。尊厳なんて、個人が一人で獲得するしかないでしょ?その自立した個人が必要に応じて協力し合えばいいだけ。
しかし、ダメダメな人間は、自分自身から逃避するばかり。だからカテゴリー分類に安住して、対抗心を膨らませるばかり。
まあ、ナチスは極端な事例ですが、「あの手」の行動をしている人は、今でもいっぱいいるわけです。

「まあ、アナタって、なんてお気の毒!」『まあ!アナタはワタシのことをわかってくれるのね?!』そんなやり取りは、まさに麻薬のようなもの。結局は、その人の人間性が壊れていくだけ。この私にメールされる方の中で、そんな感じで、もうラリっているような状態の人もいたりします。
そんな人は、「もっともっと強い」同情の言葉を求めていくわけ。シャレでもなく本当に麻薬と同じなんですね。
トップページに戻る
総目次に戻る
ダメダメ家庭出身者のキャラクター